僕が6年間、毎日使い続けているアプリの話
最近、Daylioっていうアプリについてよく考えるんだ。これをダウンロードしたとき、僕の目標はすごく単純だった。「1年間、きっちり気分のログを取ってデータを集める」。それだけ。当時の僕は、自分自身の自己申告を信じられなくなってた。もっと言うと、もしかして自分はちょっとおかしいんじゃないか?って疑ってたんだよね。
セラピストに「気分が落ち込んでいるのはいつからですか?」って聞かれても、「さあ…ずっと前からそんな感じです」としか答えられない。でも、それって本当? 確証が欲しかった。自分の感情的な状態について話すときに、ちゃんと根拠を示せるようにしたかったんだ。「11月は丸々落ち込んでました。ほら、この数字が証拠です」みたいに言える自分を想像してた。1年分のデータがあれば十分だろう、それで何かが見えて、次に進めるはずだって。
でもね、最初の1年が、いきなり典型的な年じゃなかった。一番の親友と絶交した年で、普通より悲しいに決まってる。これは基準(ベースライン)になんてならないな、って思った。だって、あまりにも特殊な年だったから。
TL;DR 普通の年なんて、そもそも存在しないって話。
いきなり結論から言っちゃうけど、何年も記録を続けた結果わかったのはこれ。僕らが思うような「普通の年」とか「安定した基準になる年」なんて、探してもどこにもないんだ。でも、だからこそ記録する意味があった。その話をしていくね。
で、このDaylioってアプリ、どうやって使うの?
知らない人のために、このアプリがどう動くかざっくり説明しとくね。ごちゃごちゃして見えるかもしれないけど、やることはすごくシンプル。
基本は、1日の中で「今の気分」を記録すること。デフォルトだと朝昼晩に通知が来るかな。僕はもう慣れちゃったから、1日の終わりに「今日はだいたいこんな感じだったな」って感じで1回だけ記録してるけど。
気分は5段階で評価する。「最高(5)」から「最悪(1)」まで。気分には「穏やか」「不安」「幸せ」「ワクワク」みたいに自由に名前をつけられる。それに加えて、「友達と会った」「仕事」「運動した」みたいな「活動」も記録できる。そうすると、どの活動が自分の気分を良くする(あるいは悪くする)のか、データで示唆してくれるわけ。
他にも日記を書いたり、写真をログしたり、目標設定したり…機能はいろいろある。正直、最初の僕は全部の機能を使おうとした。新しいものにハマると、最初の6週間くらいはトコトンやるタイプだから。でもまあ、ご想像の通り、すぐに飽きて一番シンプルな気分記録だけが残った。
日本だと手帳に日記を細かく書く文化があるけど、あれとはまたちょっと違う感覚かな。どっちが良いとかじゃなくて、目的が少し違う感じ。
| 比較ポイント | Daylio | 伝統的な日記(手帳) |
|---|---|---|
| 記録の手軽さ | めっちゃ楽。気分をタップして、活動アイコンをいくつか選ぶだけ。1分もかからない。 | まあまあ面倒。ペンを持って、文章を考えて…って感じだから、腰を据える必要があるよね。 |
| 感情の表現 | 「最高(5)」から「最悪(1)」までの数字がメイン。感情のグラデーションは表現しにくいかも。 | 「嬉しかったけど、少し不安も残った」みたいな複雑な感情を、言葉でそのまま書ける。自由度が高い。 |
| 振り返りのしやすさ | グラフで一目瞭然。年単位の気分の波とか、特定の活動との関連性とか、パッと見でわかるのが強み。 | 自分で読み返す必要がある。でも、その時の情景や思考のディテールまで思い出せるのはこっちかも。 |
| データの客観性 | 数字で出るから客観的に見える。…でも、後で話すけど、これがちょっとしたワナでもあるんだ。 | 完全に主観の世界。その日の自分がどう感じたか、がすべて。良くも悪くも、ね。 |
で、6年間の記録を見てみたら…
さて、僕の実験に話を戻そう。最初の親友と別れた年がダメだったから、次の年に期待したわけ。でも2020年…うん、これもベースラインにはならないよね。世界的なパンデミックだったし、隔離生活だったし。わかるでしょ?
僕個人としては、パンデミックの年はそこまで悪くなかった。予定が全部キャンセルになるのが最高だったし、親友と一緒に住んでたから社会的な交流に飢えることもなかった。でも、グラフがガクンと落ち込んでるところがある。これは大体、妊活してて、ダメだったときに生理が来た日だね。そういう日はもう一日中泣いてるから、気分は問答無用で「1」。それが全体の平均を下げてるんだ。
じゃあ2021年はどうだ、と。これもダメだった。年明けに虫垂炎で手術して、その直後に妊娠が判明。パンデミックのせいで誰も面会に来られない病院のベッドで、1ヶ月近く本当に惨めな気分で過ごした。グラフが底を這ってるのがそれ。
そして11月5日。この日は、最高の「5(恍惚)」と、胸が張り裂けそうな「1(悲痛)」を同時に記録した。娘が生まれた日だ。あらゆる感情が一気に押し寄せてきた。でもデータ上は? この両極端な感情が互いに打ち消し合って、まるで「何も感じなかった」かのような凡庸な数字として表示されるんだ。これは衝撃だった。
こうなったら、もう意地だよね。ベースラインが確立されるまで記録を続けなきゃ、って。2022年、統計はまた歪んだ。親になって最初の年だったから。毎日が全く新しいことの連続。娘の古いバージョンが死んで、新しいバージョンが生まれる。初めてお座りした日、プレイマットで寝る最後の日、初めて笑った日、初めてアボカドを食べた日(そしてそれが最後になった日)。毎日が極端な瞬間の連続だった。
そして2023年。今度こそベースラインが確立できるかも、と思った年。でも、これもまた変な年だった。6月に仕事を引き受けたんだけど、その仕事がきっかけで、自分が心的外傷後ストレス障害 [PTSD] を持っていることを知ったんだ。古典的なやつ。ある瞬間、教室にいると思ったら、次の瞬間には10年前の別の教室にいて、床に血が広がってる…みたいな。1日のうちの数時間が消えたりする。なんで外にいるんだっけ?靴はどこ?みたいな。正直、自分がPTSDだなんて夢にも思わなかったから、めちゃくちゃ動揺した。まあ、そういうわけで、その年の6月は最悪だった。だから2023年もベースラインにはならなかった。
もうわかるよね。2024年も、やっぱりちょっと変な年だった。予期せぬ知らせがあって、一年かけてそれを受け止めていくような感じ。ごめん、ここはちょっとぼかさせて。まだ自分の中で整理がついてない大きなことって、その渦中にいるときに書いちゃうと後悔する可能性が高いって、ライターとして学んだから。もう少し時間が経ったら、また話せるかもしれない。
じゃあ、このアプリって結局意味あるの?
僕より先に気づいた人もいるかもしれないけど、ここがオチなんだ。**ベースラインになる年なんて、存在しない。**
もちろん、年ごとのパターンみたいなものはあるよ。日照時間が減って、仕事の要求が増える9月と10月は、大体きつい。学校が休みで自分の執筆に集中できる6月と1月は、僕にとって神聖な月だ。5月はストレスフルだけど、楽しいことも多い。気分のログは、そういうパターンをいくつか反映してる。
でも、すべての年に通じる一番の共通点は、「共通点がない」ってことだったんだ。
年ごとの気分ログは、まるで心電図のマップみたいに見える。リズミカルに上下して、予測可能に変化して、でも決して長くは安定しない。もしここに教訓を見出すなら、それだ。「何事も、長くは同じ状態に留まらない」。これって、ものすごく悲しい時期にいるときも、ものすごく幸せな時期にいるときも、同じように信じがたいことなんだよね。
「どうやったらまた良い気分になれるんだろう?」「もうずっとこのまま幸せでいられるはずだ!」どっちの極端にいても、数日、いや数週間もしないうちに、物事の感じ方が変わってくる。親友と別れたあとの長い悲しみの季節でさえ、明るくて希望に満ちた日があって、暗闇の中にスタッカートみたいなアクセントを加えてくれる。
このアプリの「限界」というか「面白いところ」
結局、このアプリで学んだ一番大事なことは、データの正確さじゃなかった。むしろ、データの「不完全さ」が教えてくれたことの方が多い。
さっきの、娘が生まれた日の話。最高の「5」と最低の「1」が、平均化されて「3(まあまあ)」になる。これって、データとしては嘘だよね。でも、人生の真実でもある。人生って、そういうものじゃない? 喜びと悲しみを同時に抱えて、それでも「まあまあ」の日として進んでいく。物事がもっと長く同じだったら、もっと予測可能だったら楽なのに、って思うかもしれない。台本を持って人生に臨みたい時もあるだろう。
でも、人生には「手触り」が必要なんだと思う。今感じていることが何であれ、それが悲しみであれ喜びであれ、それはこの世に長くはとどまらない。だから、それを大切にするんだ。いつか、この気持ちがどんなだったか思い出せなくなる日が来る。まるで、誰か他の人が語る物語みたいにね。
Daylioを使い続ける理由は、もう「正確なデータを取る」ことじゃない。自分の人生の心電図を、ただ眺めるため。浮き沈みがあること、それが普通なんだってことを、忘れないようにするためのお守りみたいなものかな。
あなたはどう? 何か自分のことを記録してる? それで、何か面白い発見はあった? よかったら聞かせてほしいな。
