海外スマホ体験で見えた現地アプリの使い方と生活変化

顔認証も17タブも無力 渋谷で迷子の夜

自分ではスマートフォン、まあ、わりと使いこなしてるつもりだったんだよね。顔認証とか、何気ないスワイプの手癖とか、「便利だよな」って半ば信じてたし。でも十数個も開きっぱなしのタブは…なんかアメリカっぽい漠然とした不安感?あー、それとも単にコントロールを失うのが苦手だっただけかもしれない。今思えば、うーん、自分でも理由が曖昧だ。

それなのにさ、東京に着いた瞬間から全然違った。急にスマホがただの重い塊になったような錯覚。あれ?通信どこ行った?「LTE」とか心強かった表示もふっと消えてたんだよ。不思議と、その表示と一緒に安心感までごっそり持っていかれた感じがしてさ……やっぱり変だよね。いや、ちょっと待て、本当にそんな簡単に不安になるものかな―とか考えてしまったけど、本筋戻す。

渋谷でひとりぽつん、と立ってみればさ、充電残量も1割ちょっとしかなくて結局焦る羽目に。方角も皆目見当つかず、「えーと」と思いつつアプリ一覧を開くけど、日本じゃまともに使えるものほぼ無かったことを、その時になってようやく痛感するという…。この状況、本当に最初はどうしていいかわからなくて、ただ立ち尽くすしかなかった。ま、いいか。

SIMカード売り場の紙切れと見知らぬ自分

なんかね、焦ってたはずなのに、気づいたらちょっと笑ってたんだよな。自分でも「あれ?」って思ったけど。で、その後したことがさ、日本ではあんまり…いや、日本っぽくない?いや、むしろアメリカっぽいとも言い切れない感じで、なんとも中途半端な気分だった。でもまあ、とにかく素直に「助けてください」って頼んじゃったわけ。ま、いいか。SIMカード売り場のカウンターには親切そうなおじさんがいてさ、それがなんだか親戚のおじいちゃんが古いガラケー持って来た時みたいな、こう…ちょっと手間取る感じの優しさというか、不思議と安心したっぽい。えっと、多言語で印刷された紙きれを渡されて、「この機械でプリペイドプランを買うんだよ」って案内された。それ、自販機みたいなやつだったんだけど…日本の駅の自動販売機をふと思い出してしまったりもした。うーん、話それちゃった。でも戻るね。

あの日の出来事は、自分の中で何かが静かに変わり始めた瞬間だった気がする。悪い意味じゃなくて、多分ね、良い方向への転換点だったと言えるかなぁ。でもその時は全然そんな実感なくて、「あーもう面倒くさい」ぐらいしか考えてなかったような…。でもさ、後から振り返ると似たような場面はいくつもあった気がするし、不思議とその度ごとに心の中で何か引っ掛かるものが増えていたようにも思う。ま、ときどき忘れてるけど。

普段は当たり前みたいに使ってたスマホとかネット環境、それをどう扱うかなんて深く考えもしなかったし――今になれば実際には効率的とは言えず、「便利だから」と惰性で依存してただけなのかな、とぼんやり思うようになった。別にITに詳しいタイプでもなく、ごく一部の「ラクさ」にしがみついてただけだと思う。それこそ無制限データとかアメリカ特有の手軽さを当然視していた自分も否定できないかなぁ…。まあ、そういう性格なのかもしれない。

それなのに海外仕様とか現地SIMになると、その「当たり前」が通用しなくなるから不意打ち食らった感覚も残ってる。不便とか戸惑いばっか覚えてるようで、本当に全部細部まで記憶している自信はない。でも、その合間合間に妙な発見――例えば新しい選択肢とか、自分でも知らなかった柔軟性?――そういうものにも触れられてたと思う。ああ、結局慣れるしかないよね、と呟きながらまた元通り使おうとしている自分もいたっけ。

Comparison Table:
テーマスマートフォンとの距離感
近年の変化海外デジタルサービスの利用時に受ける違和感の減少
個人情報への配慮質問攻めが少なくなり、ストレス軽減
通知とリマインダー必要最低限の連絡のみで煩わしさが減少
利用者体験の違い日本と海外サービスにおける使用感の差異

SIMカード売り場の紙切れと見知らぬ自分

便利依存って、ただの癖だったかもしれない

注意力が必要だとか、辛抱強さもやっぱり要るよね…いや、最近はスマホを使うのに、ちょっとしたデジタル知識まで求められる場面、多くなった気がする。ああ、それで言えばQRコードを読むだけなのに、なんでかプチパニック起こしそうになる人も身近にいるんだよなぁ。たぶん自分もちょっとわかる、その感じ。まぁ、話逸れるけど──手の中のこの端末って、ただの道具じゃないみたいで、不思議だね。旅を重ねていくと、「これ、なんか自分を写す鏡みたい」ってふと思う瞬間が増えてきた。場所が変われば映る自分もちょっとずつ違って見えるというか…うーん、何なんだろうな。

アメリカ国内の場合、新しい番号を手に入れようとするとさ、本当にややこしかった記憶ばっかり残ってるよ。えっと…何枚もの身分証明書を出して、「これで足りる?」みたいに窓口で聞いたことも曖昧に覚えてて、その後サインを書いたり色々確認事項が次々出てきたりして…。ま、この辺になると余計な話だけど――手渡された携帯端末がちゃんと動くのかどうか、本当に運任せだった気さえする。一方で海外では…いや、国ごとに全然事情違うから一括りにはできないけど、ときどきびっくりするくらいあっさり済む場合もあったかなぁ、とぼんやり思い返す日もある。「まあ、それはそれとして」と自分に言い聞かせて、本筋へ戻ろうと思ったらまた脱線しそうになる。

海外スマホは手間が普通、効率より体験

自動販売機でSIMカードを買ったこと、うーん、意外と「やったことない人」のほうが少数派なんじゃないかな、とふと思ったりする。いや、まあ…どうだろう。SIMを携帯に差し込んで、ぽちぽちっとQRコード読んで――あれ、何分くらいだったっけ?ほんの数分…とか言ってみたけど体感的には十数分くらいかも。実際は短いような長いような微妙な時間。でも誰とも余計な会話は発生しないし、追加料金もほぼゼロ。えっと、それからフラミンゴ型充電ケーブルみたいな奇怪なるグッズを押し付けられる心配も皆無だった。ま、それだけでも結構ありがたいよね。

大阪駅のホーム、あるいはその近く――たぶんホームだったと思うけど(記憶がちょっと曖昧)、初めてその場でSIM交換した時、不思議な気持ちになった覚えがある。なんというか……ハッカーごっこしてる気分と、小さき子供が初めて鋏を握る緊張感、その二つが混ざり合ったような。まあ大げさかもしれないけど。でも、その瞬間、自分の手先って案外不器用だな、と冷静に思ったりもしたわけです。なんだろう、この場面と全然関係ないけど、小学校の図工室の匂いまで思い出してしまって……あっ、ごめん、本題に戻すと、その作業終わった後、「やればできる」ってひそかに感動したという事実だけは残った。

大手キャリアのサービス云々より、とりあえず説明書と静かな空間さえ確保できれば充分だという実感。それだけで十分だった。不思議と安心感も湧いたし。「これで良かった」と素直に思える瞬間って案外多くはないからね。

最近はeSIMのおかげで手順自体さらに簡略化されつつあるらしい。でも、この一連のちょっと面倒くさい儀式自体…いや、それこそ悪くない気もする。不慣れな土地に来て、新しい手順踏むことで、「今ここにいる」感じが強まるというか。その儚い違和感が旅情につながる気配すらある。全部スムーズすぎても逆につまらなくなることも——ま、いいか。この微妙な引っ掛かり、大切なのかもしれない。

海外スマホは手間が普通、効率より体験

QRコードであたふた、それすら新鮮だった日々

ルールとか、ほんと分からなくても——まあ、正直そこまで困る場面って意外と少ない。ああ、なんか今ふと思ったけど。テクノロジーって結局、自分が思い通りに動かせるもんだとどこかで思い込んでたのに、現地の電車だったりさ、不意に誰かと一緒になって操作しなきゃいけない時って――協力する方がむしろ重要に感じたりする瞬間がある。不思議だよね。説明書読むことも増えたし、周りの人、例えば隣の席の全然知らない人に「このQRコードで合ってます?」とか聞いてみたりして。うーん、それだけで少しだけ謙虚になれる気がする。本当に妙な話。

ネットにつながった後は?いや、その前段階で力尽きそうになること多いけど……やっとつながった時、自分が心底必要としていたものって実はそんな多くなかったんじゃないかな、とハッとする瞬間がポツンと訪れる。外国のSIMカード入れて延々スクロールしまくることなんてほぼ無くなったし。メールチェックも頻度下がったような……ま、多分十数回アクセスしたら一度見るくらいのペースになっちゃったかな? なんか、「これじゃ仕事にならんな」とか言いつつ。でもマップアプリ使うとか翻訳アプリ開くぐらいしか本当に使わない日もある。「日本 生卵 食べても平気」みたいな変なキーワード調べて赤面したり。それくらい。そのたびデータ通信量を気にして、「今これ、本当に要る?」とうっすら立ち止まる癖みたいなのが身についてきたような……いや、勘違いだったらごめん。

完璧でなくていいと思えてきた。不安定なネット環境でも案外悪くない。何だろうね、この感覚。一部には同じように感じている人もいる――という話も耳にはさんだ。でも全部確実とは限らないよね。ま、いいか。それでも少なくとも自分には、そんな風に楽になれた日が確かにあった気がしている。

データ量ケチるだけで生活リズムまで変わる不思議

スマートフォンとの距離感、ここ最近…いや、なんとなくだけど前よりはマシになったような気がしてる。別に自分が成長したとか、偉くなったわけじゃなくてさ、仕組みのほうが変質しちゃって悪化しようもないっていうか——うーん、伝わるかな?海外のデジタルサービスを使っているとき、不意に「あれ?」と違和感というか、小さな発見みたいな瞬間があるんだよね。そうそう、個人情報をしつこく訊かれることも少ないし、「誕生日いつですか」「血液型教えて」なんて細やかな質問攻めでウンザリする経験もあまり無い。ま、いいか。でも本当に七十回以上は体験したと思うんだ、「アカウント連携どうです?」「カレンダー同期します?」というありがちな誘導メッセージも目立たない。不思議だよね。……えっと話が逸れたけど、とにかく昔ほどスマホに振り回されなくなった気がする。

バンコクで配車アプリ頼んだ時のことをふと思い出す。運転手さんから来た連絡は「今着きました」だけ。本当にそれだけだった。ポップアップ画面も煩わしく表示されず、「チップ先払いしませんか?」とか「評価してください!」みたいな急かす通知も皆無でさ。その一言しか送られてこなくて、人間味を感じたというか…ああ、自分で言っててちょっと笑えるけど、本当にそうだった。

パリでレストラン予約したときも、大体同じ感じだったような気がする。一通の確認メール、それだけ届いて終わり。それ以上何度もしつこくリマインドされた記憶はほぼ無いかなぁ。まあ、日本や他の親切(?)重視の国々とは違っていて、その不干渉さ、不便でも親切でもない絶妙な距離感……案外心地良かったりする日もある。不思議と癖になるというか。ただ絶対的によいとは限らなくて、多分一部には向いてる形なのかなとも思う。なんだろう、この曖昧さ。ま、いいや。また考え過ぎちゃった。

データ量ケチるだけで生活リズムまで変わる不思議

現地アプリ、通知ゼロでむしろ静けさに気づく

レビューを書いてください、みたいな通知とか、予約完了のお知らせがポンポン出てくること、全然なかったんだよね。あれ?って思うくらい、静かで。なんかさ、アメリカのサービスだと七十回以上は見たような気がするあの「評価をお願いします」攻撃…いや攻撃って言いすぎかな。でも本当に雰囲気が違った。必要なことだけ終わったら、それでもう何も連絡してこない。しーん、としてて。えっと、ちょっと前に同じような体験した人がいたって話も聞いたけど、自分の場合もまさにそうだったんだよ。不思議と安心したというか…。ま、いいか。

アメリカ系のアプリやサイトってさ、不安なのかな?時々「あれ、この人まだいる?」みたいに、「まだここいます!」って主張してくる感じがある。四六時中覗いてるイメージまで湧いてきて…いや被害妄想っぽいけど。「どうでした?」とか「評価してください」みたいなお知らせが一日に何度も届くこともあるし、人によってはそれ便利だと思うのかなあ。でもまあ全部じゃないし、その辺は個人差なのかもしれないね。ああ、こうやって考えてる間にもまた通知来たりして…いや今は来てないけど。本筋戻すと、本当にしつこい時ある。

逆に海外製(と言われている)テクノロジーっていうと、「放任主義」っぽい印象もあるんだよなぁ。そのまま使いたいようにどうぞ、ご勝手に的な空気というかさ。利用者側の判断を信じてるのかな。それとも、日本でも最近こういう静かなタイプ増えてきた?実際には約三割くらいしか違わないケースもあるらしいけど、この落ち着いた感じはやっぱり新鮮だったんだよね。他所事考えてたら忘れちゃいそうになるけど…。

ふと思うんだけど、別にどちらにも良さがあるんじゃない?必要最低限だけ済ませて後は静寂—このスタイル、自分としては嫌じゃない。でもまあ、人によって合う合わないは絶対ありそうだし…。この先どうなるのかなぁ、とぼんやり思ったりする。疲れててもこういう細部で救われたりするから、不思議なものだよね。

誰もあなたを追いかけない国のテクノロジー感覚

なんとなくね、「また戻ってきてね」って言われた気がしたんだよなあ。いや、ほんとは誰もそんなこと口にしてないんだけど、頭のどこかで勝手にそう解釈しただけかもしれない。うーん、この微妙な変化――ちょっとしたきっかけで、意識のスイッチが切り替わったような感じがする。あ、そういえば最近スマホを見る回数、明らかに減った気がしてさ。返信も前より遅くなるし…ま、別に悪いことじゃないんだけど。でも赤い丸とか通知音とか、その類いの刺激に昔ほど振り回されなくなった自分に驚いてる。たぶんね。

四六時中スマホから誘惑されてる感覚が弱まると、不思議と生活そのものへ向き合う余白みたいなのができた気もする。ま、そういうのって結局人それぞれなんだろうけど、自分には少なくともそうだった。「え?ほんと?」って思うかもしれないけど事実なんだよね……いやまあ、自分でも半信半疑なんだけどさ。

アメリカに戻ると、その違和感みたいなのはすぐわかったりする。「騒がしさ」って言葉で片付けていいのかわからないけど、とにかく通知音やらピコンピコン鳴るやつら――あいつら本当に容赦ないというか、全部一斉に自己主張してくる感じ?いや正直、何種類あるのかわからない。ただ十種類くらい…いやもっと多い?少ない?まあどうでもいいか、ともかく頭の中をごちゃごちゃ掻き乱されて終わる。

最近になって「成長」と呼べるほど大袈裟じゃないとしてもさ、スマホとの距離をちょっと変えるだけで日常そのものにも微妙な違和感というか、新しい見え方みたいなのが混じってくることもあるっぽい。ま、この手の話も結局は人によると思う。でも、自分の場合は確実に何か変わった気配がある――ま、いいか。

誰もあなたを追いかけない国のテクノロジー感覚

旅先で見て学ぶ、真似して失敗する勇気みたいなもの

正直、なんだろう、最近はずっと少し疲れてる気がする。いや、もしかしたらただ天気のせいかもしれないけど。必要なのかどうか、自分でもよく分からなくなる瞬間があるんだよね…ああ、そういえば前はアプリを七つくらい持ち歩いてたのに、今じゃ三つぐらいしか使ってない気がする。ふと気付いたら減ってた。ネット無しで動く地図を探してみたりさ、ホテルの予約確認も結局スクリーンショットだけ残しておいて、通知なんて全部オフにしちゃったり――まあ、それも悪くないか。何というか、一種の緊張感?いや違うな…頼るには頼るけど、テクノロジーに完全に支配されたくないっていう謎の抵抗感みたいなのがあって。うーん、それって自意識過剰かな、と一瞬思ったけど、やっぱり意識的に距離取ってるんだと思う。本題戻すと、そんな感じ。

海外で暮らしてみたり、ごく短期間でも滞在したりすると、不思議なことにまた色々知りたくなったりするものだと思う。看板を読む癖とか、人々がタッチカードやQRコードをどう使ってるか観察したり…えっと、実は立ち止まる場所まで真似してみたりしたこともある。何やってるんだろう自分、と後から少し笑えてきたり。でも他人を見る目線じゃなくて、自分でも知らず知らず「見て」ばっかになっている時間が増えたような気がするんだよね。スマホじっと眺め続けるより、その場で何か拾いたいという方向に心が向いてきた感覚。

それで、ご飯食べたり買い物したりするときもさ…話しかけるタイミングもちょっと変わったような?いや全部ちゃんとは覚えてないんだけど、多分そんな流れだったかなと思う。ま、いいか。不確かな記憶だけど、それもまあ今の自分には十分なんだよね。

新しいSIM=小さな脳パスポート 帰国後もまだ続く再発見

なんかね、最近やたら質問が多くなった気がするんだよね。前は「これくらい知ってるし」みたいな顔してたけど、あれ…思い込みって結局役に立たないことの方が多くてさ。うーん、全部知ってるフリをするのももう疲れるし、ま、いいか、ちょっと初心者っぽくても。恥ずかしい?まあ……それはある。でも仕方ないじゃん。いや待って、今こうして書きながら自分で「何言ってるんだろ」って思い始めたけど、それでもやっぱり最近の自分は前より素直になった気もする、不思議と。

そうそう、この間スマホをまた修理したんだけど、「完璧!」とは絶対に言えないレベルだったわけで…。実はそうでもなくて…海外製端末とか異国のシステム触る時になると、自分の中で大事にしてた“IT系得意”みたいな感覚?あれが微妙に壊れる感じがするんだよね。ああもう、本当にスピードだけじゃ全然カバーできない部分があると痛感した瞬間だったというか…。今になって考えると、「速さ」とかよりも、一回深呼吸して落ち着いてから動いたほうが圧倒的に安心できる。不器用なのかな、自分。でもまあ、それも悪くないような。

あっ、新しいSIMカード手に入れた時とかさ…なんとなく脳内で小さいパスポート印押された感じになること、あるよね?いや別に誰にも共感されなくてもいいんだけど(笑)、不思議だなーと思うわけで。それともこれ、自分だけ?

もしこんな話読んで「あーなんかわかる」ってニヤッとした人とか、「アプリ消そっかな」と一瞬でも思ったなら――いや別に強制じゃないけど――適当にコメント残すとか拍手ボタン押すとか、その程度で十分嬉しいです。コーヒー買ってくれても最高だし(まじで)、サブスタック的なのフォローしてもらえたりすると助かったりします。まあ興味あればで!こんなしょうもない話でも誰かひとりぐらい届いてればいいや……そんな夜です。

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