海外スマホが脳の働きを変えた理由:デジタル環境と認知機能の関係

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最近、ふと考えてたんだけど、僕はずっと自分のこと、スマホの使い方がうまい「効率的な人間」だと思ってたんだよね。Face IDでの一瞬のロック解除、指一本のスワイプ操作、それに…なんだろう、たぶん失うことへの恐怖みたいなものから、絶対に閉じない17個のブラウザタブ。うん、完璧に使いこなしてるって。正直、そう信じてた。

東京に着陸するまでは。

突然、僕のiPhoneはただの文鎮になった。電波なし。データ通信不可。画面の隅で「君は大丈夫だよ」と囁いてくれるはずの「LTE」の文字もない。渋谷のど真ん中で、バッテリーは残り12%。方向感覚ゼロ。スマホの中には、この新しい文脈では何の意味もなさないアプリが詰まってるだけ。そりゃあパニックになるよね。

でも、パニクったあと、なぜか笑えてきて。そして、普段の自分なら絶対にしないことをしたんだ。

そう、助けを求めた。

SIMカードのキオスクにいた親切なお兄さんが、まるでガラケーしか使ったことのないおばあちゃんに教えるみたいに、一つ一つ手順を教えてくれた。多言語で書かれた説明書を渡してくれて、当たり前のようにプリペイドSIMの自販機を指差して。あの瞬間、僕の中で何かが良い意味で「壊れた」気がしたんだ。

重点一句話

海外で現地のテクノロジーを使う体験は、僕らが「便利さ」という名の依存症にかかっていることを教えてくれる。そして、その不便さが、結果的に僕らとテクノロジーの関係をより健全なものにしてくれるんだ。

アメリカ的テックと、海外で出会ったテックの違い

僕らが当たり前だと思ってる「便利さ」って、実はかなり特殊な環境で成り立ってるんだよね。使い放題のデータプランとか、なんでもかんでも連携させようとするアプリの文化とか。海外に出ると、その「当たり前」がいかに当たり前じゃないか、痛感させられる。

例えば、SIMカード。アメリカで新しい電話番号を手に入れるのは、もう戦争だよ。店舗に行って、身分証明書を3種類くらい見せて、血判状みたいな契約書にサインして…。おまけに、うまく繋がるかどうかは月の満ち欠け次第、なんてジョークもあるくらい。

でも海外、特に日本みたいな場所だとどう?駅の自販機でSIMカードを買って、スマホに差し込んで、QRコードをスキャン。10分後にはもうオンライン。余計な世間話も、手数料も、フラミンゴの形をした充電ケーブルを売りつけられることもない。あのあっけなさは、衝撃だった。

悪戦苦闘しながらも、新しい世界への扉を開ける瞬間
悪戦苦闘しながらも、新しい世界への扉を開ける瞬間

大阪の駅で初めてSIMを入れ替えたとき、気分はまるでハッカー。…と同時に、ハサミを初めて使う幼児のようでもあった。指先は震えるし、ストレスだし、でも、最終的にはものすごく力強い気持ちになったのを覚えてる。「ああ、別にVerizon(アメリカの大手キャリア)の助けなんていらなかったんだ。必要なのは説明書と、落ち着くための少しの時間だけだった」って。

最近はeSIMがあるからもっと簡単になったけど、それでも物理SIMを入れ替えるっていう「儀式」には意味があると思う。自分が新しい場所にいること、違うシステムの中にいること、そして、自分がルールを知らない側だということを思い出させてくれる。それでいいんだ、って思える。

比較:僕らを甘やかすテック vs 僕らを大人扱いするテック

この違いを分かりやすく表にしてみた。正直、書き出しながら「うわ、自分ってこうだったんだな」ってちょっと恥ずかしくなったけど。

比較項目 いつものスマホの使い方(僕の場合) 海外で「叩き直された」使い方
通知 全部オンが基本。アプリの右上の赤い丸は、見つけ次第すぐに消すのが正義!じゃないと落ち着かない。 ほぼ全部オフ。本当に必要なときだけ、自分から能動的に情報を確認しにいくスタイル。静かでいい。
アプリ 「いつか使うかも」精神で、便利そうなものは片っ端からインストール。ホーム画面は4ページくらいある。 地図、翻訳、カメラ、あと数個だけ。本当に使うものしか入れない。少ないは正義、って気づいた。
データ通信 使い放題プラン最高!何も考えずに動画を垂れ流し。ギガを気にするなんて、過去の話でしょ? 1バイトがマジで貴重品。意図のないバックグラウンド通信は悪。すべての通信に目的がある感じ。
問題解決 まずググる。答えがすぐに見つからないとイライラする。とにかくスピード重視。 まず周りを見る。看板を読む。人に聞く。観察することが第一歩。テクノロジーは最後の手段。
アプリとの関係 常に「レビューして!」「友達を招待して!」「位置情報を共有して!」って言ってくる。束縛の激しい彼氏みたい。 仕事を終えたら、さっと身を引く。余計なことを聞いてこない。信頼されてる大人の関係って感じ。

じゃあ、具体的にどうすんの?僕が実践してること

この経験を経て、日本からアメリカに帰ってくると、その「うるささ」にすぐ気づくようになった。通知の音、アプリアイコンのバッジ、こっちの気を引こうと必死な10個の違うシステム。マジで疲れる。そして、これって本当に必要なのか?って思うようになったんだ。

だから、今の僕のスマホの使い方は、海外にいた時をベースにしてる。もし「今のスマホとの関係、ちょっと疲れるな」って思ってる人がいたら、試してみてほしい。

  • プッシュ通知は、ほぼ全部切れ。 LINEとかメッセンジャーとか、本当に「人」からの連絡だけオン。アプリからの「お知らせ」は、こっちが見たい時に見に行くから放っておいてくれ、っていうスタンス。
  • オフラインマップは神 Googleマップとかで、旅行先のエリアをまるごとダウンロードしておく。これだけで、通信量とバッテリー、そして精神的な安心感が全然違う。道に迷うことへの恐怖が激減する。
  • 大事な情報はスクショ。 ホテルの予約確認書、飛行機のeチケット。メールやアプリを開かなくても、写真フォルダを見れば一発で分かるようにしておく。電波がない場所でこそ、このアナログなやり方が光る。
  • アプリは少数精鋭に 本当に、本当に使うものだけを残す。僕の場合、地図、翻訳、カメラ、交通系ICカード、そして銀行アプリくらい。ホーム画面は1ページに収まる。選択肢が少ないって、実はすごく自由なんだ。
左:通知に追われる日常、右:静けさを取り戻した心
左:通知に追われる日常、右:静けさを取り戻した心

海外のテックは、あなたを「大人」として扱う

これ、声を大にして言いたいんだけど、海外のテック、特に日本やヨーロッパのものは、ユーザーを甘やかさない。

ラーメンを一杯注文するのに、あなたの位置情報や誕生日、血液型、閲覧履歴まで欲しがったりしない。アカウントを連携しろとか、カレンダーを同期しろとか、2017年に一度使っただけの製品について「友達と繋がろう!」なんてしつこく勧めてこないんだ。

バンコクで配車アプリを使ったとき、ドライバーから直接「着いたよ。外にいる」ってテキストメッセージが来た。アプリのフィルターもなければ、「早めにチップを!」とか「まだ車が動いてるけど今の体験を評価して!」なんてポップアップも出ない。ただ、人間からのメッセージがそこにあっただけ。

パリでレストランを予約したら、確認メールが一通届いただけ。それっきり。追い打ちをかけるようなリマインダーも、「レビューを書いてください」っていう罪悪感を煽る通知も、ブラウザを開くたびに出てくる「予約を完了させましょう」ってやつも、何もない。

テクノロジーは、やるべきことをやった。そして、僕をそっとしておいてくれた。最高だった。

正直、アメリカのテックは、時々、自信のない彼氏みたいに感じる。「ねえ、今何してる?」「フィードバックちょうだい」「僕のこと忘れてない?」って、常にブーブー鳴ってないと、僕がその存在を忘れるとでも思ってるみたいに。

でも、海外のテックは違う。ユーザーが大人で、自分に必要なものを分かっていて、必要な時にまた戻ってくるって信頼してくれてる。この微妙な違いが、僕の脳を書き換えたんだ。スマホをチェックする回数が減り、返信はゆっくりになり、通知の赤い点やベルの音が生み出すドーパミンのループから解放された気がした。

eSIMと物理SIM、どっちがいいの?という問いについて

よく聞かれるのがこれ。「今はeSIMがあるんだから、物理SIMをガチャガチャやる必要なくない?」って。うん、その通り。eSIMはめちゃくちゃ便利。アプリでポチって、QRコードを読み込むだけで開通する。特に、複数の国を周遊する時なんかは、国境を越えるたびにプランを切り替えられて本当に楽。

アメリカだと、T-Mobileみたいなキャリアが国際ローミングプランを提供してるけど、正直言って遅いし高い。それと比べたら、現地のeSIM(例えば日本の`NTTドコモ`の回線を使ってるUbigiとか)の方が断然速くて安いことが多い。これはもう、現地のインフラを使わせてもらうんだから当たり前だよね。

でもね、それでも僕は、あの物理SIMを入れ替える行為が好きなんだ。あの小さなプラスチックのチップを、ピンでトレイを押し出して、そーっと載せ替える…。あの不器用な手つきが、「ああ、自分は今、慣れないことをしてるんだな」っていう自覚をくれる。テクノロジーを自分の支配下に置くんじゃなくて、テクノロジーと「協働」してる感じ。そういう謙虚な気持ちを思い出させてくれる儀式として、僕は価値があると思ってる。まあ、これは完全に好みの問題だけどね。

スクロールするのをやめて、見上げてみた景色
スクロールするのをやめて、見上げてみた景色

まとめ:僕の脳に押された、もう一つのパスポートスタンプ

結局のところ、僕を「修理」してくれたのはスマホじゃなかった。でも、海外のスマホ、というか海外のシステムが、僕が失うべきだった幻想…つまり、「速く使えるから自分はテックに強い」っていう思い込みを、見事にぶっ壊してくれたのは間違いない。

速いことより、思慮深いことの方がずっと大事だ。個人的にはそう思う。

海外生活、あるいは短い旅行でさえも、僕に再び好奇心を持たせてくれた。看板をちゃんと読む。地元の人たちがどうやってICカードをタップしてるか、どこに立ってQRコードをスキャンしてるかを見る。スクロールする代わりに、観察するようになったんだ。

そしてその変化は、食事の仕方、買い物の仕方、人との話し方、すべてに染み込んでいった。前よりたくさん質問するようになったし、思い込みで判断することが減った。初心者である自分を、恥じることなく受け入れられるようになった。

変な言い方だけど、新しいSIMカードを一枚手に入れるたびに、僕の脳みそに、もう一つのパスポートスタンプが押されていくような、そんな感じがするんだ。


あなたの話も聞かせてください!

もし次の旅行で、スマホからアプリを一つだけ消すとしたら、どれを消しますか?そして、その理由は?ぜひ下のコメントで教えてください。

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