建築家が図面を捨てて実践に移る方法:理論より行動で成果を出す

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最近、ちょっと思ってたんだけどさ…。ITの現場に長くいると、たまに…いや、結構な頻度で出くわす「アーキテクト」っていう人たち、いるじゃない? ソリューションアーキテクトとか、テクニカルアーキテクトとか、まあ色々呼び名はあるけど。なんかこう、ピカピカのノートPCと潤沢な予算を持ってて、Visioで描いた図面がもはや現代アートみたいな、そういう人たち。

多くの組織で、彼らの役割ってなんか…勘違いされてる気がするんだよね。現場からすごく離れた場所で、全体像を把握してる「つもり」になってる。でも、その全体像って、高高度を飛ぶドローンから撮った写真みたいに、ディテールが全然見えてないことが多い。正直、実際に手を動かして何かを作るより、エレガントなフローチャートを一日中描いてる方が好きなんじゃないかなって思う時もある。

なんでアーキテクトは「象牙の塔」に住んじゃうのか

これ、本人たちだけの問題でもないんだよな…。まず、彼らに渡される予算が、時としておかしな方向に向かわせる。まるで駄菓子屋にいる子供みたいに、実用的な使い道もないのに100万円もするエッジコンピューティングデバイスを買ってみたり、ベンダー主催の豪華なカンファレンスに招待されて、まだ存在しない「未来の技術」の話を聞かされて帰ってきたり。

で、オフィスに戻ってきて「未来を見てきた」なんて得意げに話すんだけど、その間も開発者たちは、会社を支えてるレガシーシステムのデバッグに追われてる。…この光景、目に浮かぶようだよね。

もっと悪いケースだと、彼らがアカデミックな高みから、現実世界の制約を無視したソフトウェア設計の「あるべき論」を説き始めること。自分たちの直属の部下でもない開発者たちに向かって、まるで神々が下界の民に知恵を授けるかのような、ちょっと見下した態度でね。あれはキツい。

現場から乖離した「象牙の塔」のイメージ
現場から乖離した「象牙の塔」のイメージ

あとは、マネージャーが技術的なことをよく分かってない場合に、「保険」として雇われるパターン。内部のチームや外部のベンダーを「監視」するっていう名目で置かれるんだけど、当のアーキテクト自身の技術力が理論先行で、実践的じゃないことも少なくない。そうなると、開発者からすれば、ただただ動きを遅くする官僚的なレイヤーが一つ増えただけ。価値を生まないのに、ただただ面倒な存在。戦略と実行の橋渡し役のはずが、ただの偉そうな肩書を持った中間管理職で終わっちゃうんだよね。

先に結論を言っちゃうと、目指すべきは「庭師」

じゃあ、どうすればいいのか。このぐちゃぐちゃな状況をどうすればいいのかって話だけど。

先に結論を言っちゃうと、これからのアーキテ行くと、いや、アーキテクトは「チェスの名人」みたいに駒を動かすんじゃなくて、「庭師」みたいに環境を育てる人じゃなきゃダメなんだと思う。

この考え方は、元米軍大将のスタンレー・マクリスタルが書いた『[Team of Teams: New Rules of Engagement for a Complex World]』っていう本に出てくる考え方にすごく近い。彼は「組織の駒を一つ一つ動かすチェス名人であろうとする誘惑は、指示するのではなく、可能にする庭師としてのアプローチに道を譲らなければならない」って言ってる。これ、マジでその通りだと思う。

技術的な環境の中で、成長を育む「庭師」の手
技術的な環境の中で、成長を育む「庭師」の手

特に、日本企業特有のトップダウンな文化とか、稟議とか根回しとか、そういうのが根強い組織だと、この「チェス名人」型が生まれやすいのかもしれない。でも、それじゃあもう今の複雑な世界では戦えない。アーキテクトは、開発者一人ひとりの能力やアイデアが育つための「土壌」を耕す人であるべきなんだ。

必要な時にアドバイスはするけど、基本的にはチームが自律的に解決策を育てていくのを信じて待つ。実験が奨励されて、失敗が許容される空間を作る。そのためには、何より「謙虚さ」が必要不可欠。これがないと、ただのエゴのぶつかり合いで終わっちゃうからね。

「ダメな建築家」と「育てる庭師」、何が違う?

じゃあ、具体的に何が違うのか。ちょっと表にまとめてみた。頭の中の整理も兼ねてね。

ダメな建築家(チェス名人) 育てる庭師
関わり方 「こうあるべき」論を振りかざす。現場のコード? あまり見ないかな…。 「今、何に困ってる?」って聞くことから始める。開発者と一緒にコード書いたりもする。
設計思想 完璧な青写真(ブループリント)を最初に描きたがる。変更には不寛容。 まずは小さく試す。フィードバックを元に、有機的に設計を育てていく感じ。
チームとの関係 指示する人(マンダリン)。自分は「賢人」で、開発者は「作業者」だと思ってる節がある。 導く人(メンター)。チームのアイデアを尊重して、それを実現する手助けをする。
知識の源泉 カンファレンス、ベンダーの営業トーク、理論書。まあ、外からの情報が多め。 プロダクトマネージャー、事業部の専門家、そして何より開発者自身との対話。
成功の定義 自分の描いた設計図通りにシステムが完成すること。個人的な栄光。 チームが自律的に問題を解決し、ビジネスが成功すること。チーム全体の勝利。

…まあ、だいたいこんな感じかな。要するに、一方通行の指示じゃなくて、双方向の対話ができるかどうか。そこが一番大きいのかもしれない。

データの話ができないのは、もう論外

あとね、もう一つすごく大事なことがある。それは、アーキテクトがデータサイエンスとか、AI、機械学習の言葉をちゃんと理解してるかってこと。これはもう、会議で賢そうに見せるためとかじゃなくて、必須スキルだと思う。

これって、別にアーキテクトがデータサイエンティストになれって話じゃなくてね。どういう技術があって、それをビジネスのどの部分に応用すれば「とんでもない成果」が出るか、その可能性を見抜いて、周りを巻き込んでいく力が必要だってこと。

例えばさ、顧客の支払いパターンとか。「このお客さん、期日通り払う確率何パーセント」みたいなのを、もうERPシステムに直接、主要なデータとして埋め込んじゃうとか。これができれば、キャッシュフローの予測精度が劇的に上がる。あるいは、工場の重要な機械の異常振動をセンサーで検知して、壊れる前に予防保全のアラートを出すとか。こういう発想ができるかどうか。

物理的な機械と予測データが融合するイメージ
物理的な機械と予測データが融合するイメージ

アーキテクト自身がセンサーをハンダ付けする必要はない。でも、何が可能で、それがビジネスにどういうインパクトを与えるかを、自信を持って語れないとダメなんだ。在庫予測の精度を上げる時系列モデルとか、配送ルートを最適化するクラスタリングアルゴリズムとか…そういう「武器」の存在を知っていて、それをどこで使うべきか提案できる。そういう人が、これからのアーキテクトだと思う。

最後は、やっぱりコードでしょ

で、最後にこれ。一番シンプルだけど、一番大事なことかもしれない。

口だけじゃなくて、手を動かせってこと。シンプルに。いくら素晴らしい設計図を描いても、それを裏付けるコードを書けない人の言うことを、開発者やプロダクトマネージャーが本気で聞くと思う?

自分で料理したことないシェフの言うこと、信用できないでしょ? それと一緒。フルタイムじゃなくてもいいから、定期的に自分でも手を動かして、開発の現場感覚を失わないこと。自分のスキルを証明し続けること。そうやって初めて、仲間からの信頼を勝ち取れる。そして、その信頼があって初めて、アーキテクトの描いた設計図は、ただの綺麗な絵じゃなくて、現実のものになるんだと思う。

アーキテクトっていう役割が、ただの笑い話じゃなくて、本当に組織の成功の要になるためには…うん、やっぱり現場に降りて、泥臭い仕事から逃げないことなんだろうな。空中の楼閣を描くのはもう終わり。現実の地に足の着いた建物を作っていかないと。


あなたの周りには、どんなアーキテクトがいますか? 「庭師」タイプ? それとも「チェス名人」タイプ? よかったらコメントで教えてください。

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Comments

  1. Guest 2025-06-29 Reply
    息子のキャリアパスで悩んでるんですけど、このアーキテクトって、本当に将来性あるの?ちょっと心配で…専門性とか、現場感覚とかどうなんでしょうね。
  2. Guest 2025-06-19 Reply
    うーん、アーキテクトって、子供の将来の職業として現実的なの?データとか戦略って、なんか難しそう。でも、経験って大事だよね。うちの子にも、こういう柔軟な考え方を身につけてほしいかも…
  3. Guest 2025-04-19 Reply
    アーキテクトの必要性について疑問を感じることが多いです。現場経験が重要だと思うけど、実際にどう活かすか難しいですよね。みんなはどう思ってる?